コクリコ坂から [DVD]/スタジオジブリ
¥4,935
映画『コクリコ坂から』をDVDで観ました。
上を向いて歩こう/EMIミュージックジャパン
¥1,200
■豊かさを創る質問■
・あなたは、自分達の力で世の中を良くすることが
できることを確信していますか?
・あなたは、日常をきちんと送りながら
未来に希望を持っていますか?
・あなたは、未来に希望をもち
人を大切にしていますか?
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<卓越のレシピ>
上を向いて歩こう!
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ここからは映画『コクリコ坂から』のあらすじになります。
◆時代は1963年(昭和38年)の横浜
映画の冒頭は、横浜の海が見える丘に建つコクリコ荘の外観から。
下宿屋を営んでいるコクリコ荘。
ヒロイン松崎海の朝は早い。
まだみんなが寝ている中に起き出し、すばやく髪を三つ編みにまとめ、階下に降りて父の写真に花を添え、水を替える。
そして毎朝欠かさない日課。海に向かった庭に建つ信号旗を掲げる。
その意味は「航海の安全を祈る」。
その前を通るタグボートには、実は風間俊が乗っていた。
風間は父親が乗るタグボートに登校の際に便乗させてもらっていた。
タグボートから「ありがとう」の信号旗を掲げて応える風間俊。
しかし海のいる庭からはそれは見えない。
◆そして海が台所でかっぽう着に着替え、朝食の支度を始める頃、やっとコクリコ荘の住人がひとり、ふたりと起き出してくる。
コクリコ荘の朝は、多くの人間が入り乱れて実ににぎやか。
下宿人たちと家族たちの朝食から弁当までをつくり、あわただしく登校する松崎海。
海が登校してみると、学園で毎週発行されている新聞
「週刊カルチェラタン」に、どうも海のことと思える詩が掲載されていた。
少女よ 君は旗をあげる なぜ朝風に思いをたくして よびかける彼方きまぐれな カラスたちを相手に少女よ 今日も紅と白の 紺に囲まれた色の 旗は翻る
◆文芸部長である風間俊が書いた詩らしい。
ドギマギする海。
そして学園では、部室棟である木造の旧校舎
「清流荘(カルチェラタン)」
の取り壊し反対運動が起きていた。
その中で文芸部長の風間俊は、取り壊しに抗議するため旧校舎の屋根から防火用水槽に飛び込むという「伝統の」パフォーマンスをやらかし、それを助けに海が駆け寄って手を握り合い、しかもその決定的瞬間を待ち構えていた写真部員に撮られてしまう。
反対派の生徒に「してやられた」ことに憤慨する海だったがこの瞬間から、風間俊に対して特別な感情を持つようになる。
◆帰宅後、海は祖母である花の住むコクリコ荘の離れに出向いていた。
下宿屋であるコクリコ荘では、海が家計も含めてコクリコ荘の経営まで引き受け、大家である花に収支を報告するようにしていた。
行方不明の父のために毎日旗をあげ、家族の世話から下宿屋の収支まですべてをこなす海を気づかう花。
夕方になり、朝にあげた旗を降ろす海。
突如、空から飛び降りる風間俊の姿が重なりはっとする。
コクリコ荘の食堂ではキャベツを刻む海の後ろで空、牧村、広小路の3人がガールズトーク。
風間俊のファンクラブを作るとか何とか。
夜、ひとり部屋で家族写真を見つめて物思いにふける海。
しかし考えているのは風間のこと。
◆港南学園の掲示板に張り出された「週刊カルチェラタン」では、風間俊のパフォーマンスがトップ記事になっていた。
海の妹の空は、風間俊のファンになっていて、生写真を30円で買っていた。
それにサインがほしいので、一緒に海に風間のいる文芸部まで付いてきてくれ、というのだ。
しかし、おそるおそる入った旧校舎「カルチェラタン」は、真ん中が吹き抜けのホールになっているが、内部はまるでゴミ集積場のような「魔窟」だった。
天文部、哲学部、科学部などのひとクセある変な部員たちの前を通り抜け、ようやく最上階の文芸部に到達する海と空。
◆考古学研究部と文芸部が一緒になった部室には風間俊と水沼史郎がいた。
空は風間にサインをねだり、海は手にケガをしていた風間にかわってガリ版切りを手伝う。
空が水沼に送られて帰ったので、部室には俊と海だけになってしまった。2人きりの静かな時間。
家に帰った海は、夕食のカレーを作るのに肉を買い忘れたことに気づく。
妹たちにお使いを断られてしまった海は、肉屋まで走るが、出がけにで自転車に乗った風間俊に出くわす。
俊の自転車の後ろに乗って肉屋までの坂道を降りるふたり。
俊にコロッケをおごられる海。
去っていく俊。
海はコロッケとともに余韻を味わう。
◆翌朝、コクリコ荘では広小路が起きてこない。
画学生である広小路はゆうべ大作を書き終えたばかりだった。
起こしに行った海は絵を目にして息をのむ。
燃えるような色彩で描かれた朝焼けの中に、信号旗をあげた小さなタグボートが浮かんでいる絵だった。
広小路によると、海が庭の信号旗をあげると、その船が応えるように旗をあげるのが2階の広小路の部屋からは見えるそうだ。
海のいる1階の庭からは見えないのだ。
港南学園の体育館では、旧校舎(カルチェラタン)の立て替えをめぐって討論集会が行われ白熱化していた。
海は風間俊に集会への参加を誘われ、家事があるといったん断ったものの、どうしても気になって入り込んでしまう。
そして全校アンケートの結果が発表されたが80%が建て替え賛成だった。
◆建て替え反対派である風間俊は少数派だったが、反対派を扇動して一悶着起こしていた。
双方入り乱れて言い合い、わめき合う賛成派と反対派。
風間俊はもみくちゃにされて服を脱がされかけていた。
するとひとり冷静に動向を見守っていた水沼史郎が突如歌を歌い出す。
それをきっかけにして体育館の全員が大合唱を始める。
実は学校側が監視の教員をさしむけたのだ。
水沼史郎はあらかじめその時間を知っていたようで、騒ぎを起こしているのをごまかすために合唱をする手はずになっていたようだ。
入ってきたふたりの教員は周りを見渡し、ニヤリとして体育館を出て行く。
◆松崎海は風間俊に、カルチェラタンの建て替え賛成派が多いのは汚いからだ。
掃除すればみんなの意見も変わるのでは?と大そうじを提案する。
コクリコ荘では、研修医として赴任先が決まり旅立つ北斗のために送別パーティーが行われ、そこに風間俊と水沼史郎たちも呼ばれていた。
パーティーでは、男は男同士で討論、女は女同士で固まってガールズトーク。
そして広小路と海の弟の陸は、真ん中に座って二つのグループの料理をすべて平らげようとしていた。
風間俊は海に、コクリコ荘の中を案内されていた。
◆コクリコ荘は明治に建てられた洋館で、この家の主である母方の祖父は医者だった。この家の娘である母(松崎良子)は、船乗りの父(沢村雄一郎)とは結婚を反対されて駆け落ちし別の場所に世帯を持っていた。
しかし朝鮮戦争の時に父の乗った船が沈んで父はそのまま行方不明になり、残された海たち家族は、母方の実家であるコクリコ荘に出戻りしたのだ。
松崎海は、父が行方不明の間に勝手に引っ越してしまったことを心配し、もし父が帰ってきても海から見えるよう、毎日かかさずコクリコ荘の庭に信号機をあげていたのだ。
そして、海たちの父・「沢村雄一郎」という名前と、商船大学時代の3人が並んで写る写真を見て衝撃を受ける風間俊。
しかし海は気づかない。
◆帰宅した風間俊。元町のこじんまりとした家だ。
ちゃぶ台で晩酌している父親の横を通り抜け、戸棚からアルバムをさっと抜き、自室にこもる俊。
「沢村雄一郎…」海の父親の名前をくりかえす俊。
ある日の朝、タグボートの中で風間俊は父親の風間昭雄に尋ねていた。
「沢村雄一郎って言う人が、俺の本当の父親なんだよね?」
しかし風間昭雄は「お前は俺たちの子だ」という、今までに繰り返してきた話をくりかえす。
しかしやがて口を開く父。
風間夫婦は戦争が終わった時に、生まれたばかりの赤ん坊を亡くしていた。
そこに親友の沢村雄一郎が「みなしご」の赤ん坊をかかえてやって来た。
母は奪い取るようにして赤ん坊に父を含ませた。
その後、沢村雄一郎は朝鮮戦争の時にLSTに乗っていて遭難したのだ。
しかし沢村はずっと風間の家に赤ん坊(俊)のミルク代を送ってくれていた。
「お前は、俺たちの子だ!」言われて静かにうなずく俊。
◆港南学園の部室棟カルチェラタンでは、女子の有志たちが大そうじを始めていた。
シュプレヒコールとともに、一斉にそうじを始める清掃部隊。
いつからこのままだったのかわからないくらいの多くの積年のガラクタたちがはがされ、運び出され、新たに掘られたゴミ穴にブチ込まれて燃やされていた。
その課程で「過去の遺産」も多く発見されていた。
海の妹の松崎空は、なぜか水沼史郎と「いい感じ」になっていた。
しかし風間俊は、「あの疑念」が頭から離れず、松崎海に対して他人行儀に接してしまう。
急によそよそしくなった俊を怪訝に思う海。
コクリコ荘では、研修医の北斗が静かに旅立っていった。
「風間君とうまくいくといいね」うなずく海だった。
◆そして、旧校舎カルチェラタンはOBたちまでもが全面協力して大そうじ、補修、修理、外観の塗装の塗り替えまでが行われ、生まれ変わったようにキレイになっていた。
建て替え反対の気運が高まり、運動が盛り上がる。
週刊カルチェラタンにも「生まれ変わったカルチェラタン」「存続賛成派が逆転多数に」などの見出しがおどる。
しかしその中でも、風間俊は松崎海に対してますます普通に接することができなくなっていた。
ある朝など、校門でビラ配りをしていた俊だが、あきらかに目前を通りがかった海をわざと避け、他の生徒にビラを渡した。
泣きそうになる海。
◆海はついにある雨の日に俊を待ち伏せし「キライになったのならはっきりそう言って」と問い詰める。
俊はだまって海に、海の家の書斎にあったものとまったく同じ写真をさしだす。
3人の学生が並んで写っている。
ただしこれは俊が自分の家から持ってきたものだ。
海は理解できずに「どういうこと?」
俊は、自分たちは兄妹だったんだと告げる。
市役所に行って戸籍まで確認したから間違いないと。
海は混乱し、どうしたらいいのかと問うが、俊は「今まで通りただの友達だ」と。
呆然と立ち尽くす海。
ずぶ濡れで遅くに帰宅した海は家事もできない状態になっていた。
女達は気づかうが、布団にもぐり込んで起きてこない海。
◆海は夢を見ていた。
夢の中では、母が帰ってきていた。
台所には母の作った食事のぬくもりがあった。
そして庭の方から父の呼ぶ声が聞こえた。
「大きくなったな」父の大きな腕に抱きかかえられ、泣く海。
目が覚めると夜が明けていた。寝ながら泣いていたのだ。
しかし起きた以上は家事をしなければならない。
みんなの朝食をつくりに台所へ向かう海。
誰かがお釜に米を洗って入れていてくれた。
いつものように父の写真の前の水を替え、少しためらうがいつものように信号旗をあげる。
◆海は気持ちを切り替えることにした。
学校では、前のようにつとめて明るく風間俊に手伝うことはないか、と話しかけた。
逆に俊の方がドギマギしていた。
いつの時代でも女子の方が切り替えが早い。
そんな中、水沼史郎が、カルチェラタンの取り壊しが理事会で決まったと報告してきた。
カルチェラタンを生まれ変わらせた生徒たちからすると、まさに青天の霹靂だった。
校長室に押しかけようかという意見もあったが、それよりも学園の経営者である理事長に直談判しようということになった。
しかし港南学園理事長の徳丸氏は東京で「徳丸書店」という大手出版社を営む実業家だった。
一介の高校生が押しかけても話を聞いてくれる可能性は少ない。
逆にアポなしで正面突破だ。風間俊と水沼史郎に加え、「メルも来てくれ」と海が指名を受けた。
◆海が帰宅すると、母の良子がアメリカから帰国していた。
面食らう海。ますます美しくなっていた母。
はしゃぐ女子たち。ビーフジャーキーをぱくつく広小路。
夜、荷物の整理をしていた母に海が尋ねた。
学校の風間俊のこと、その人の父親が沢村雄一郎らしいこと母はややとまどい
「そうね。ちょっとややこしい話かもしれないわね」
と切り出す。
母の話はこうだ。
船乗りである父との結婚を反対されていた母たちは、医者である実家(今のコクリコ荘)を出て、六郷(神奈川県川崎市六郷?)の狭い貸間に住んでいた。
父は航海に出ていることが多く、教授を目指していたらしい母は、海を妊娠中であるにもかかわらず学校に通っていた。
ある日、父は赤ん坊をかかえて帰宅した。
「友人の立花の子だ」という。
立花は引き揚げ船に乗っていて事故で亡くなり、赤ん坊の母親も出産の時に死んでしまった。
親戚はほとんど原爆の被害で亡くなった(広島か長崎かは不明)ほっておくと孤児院行きになるので、勝手に役所に「自分の子だ」と届け出てしまったというのだ。
戦争が終わったばかりの混乱期には、そうしたことがたくさんあったのだ。
◆しかしお腹が大きく、しかも父が船乗りなのでほとんどひとりだった母には別な赤ん坊を育てるのは無理だった。
その時子供を亡くしたばかりの風間夫婦に、赤ん坊を引き取ったもらったのだ(だから戸籍上は沢村雄一郎が実の父になっていた)。
聞いていた海は「もしその子供がお父さんの本当の子供だったら?」と問いかける。
母は考えもしなかった、という雰囲気で
「あの人の子供だったら会いたいわ。(父と)似てる?」と
すると突然海はこらえていた感情が堰を切って大泣きしてしまう。
海を抱き寄せる母。とまどいながらも母は理解した。
「その子のことが好きなのね。」
◆翌日、桜木町の駅で待ち合わせる風間、水沼、海の三人。
そろって電車に乗り、京浜工業地帯を抜けて、大都会・東京の中心地へ。
高度経済成長まっただ中のにぎやかな東京の街。
新橋の徳丸書店ビルへ。
意気込んで向かったが、秘書らしき女性にはアポなしの面会希望を迷惑がられ、会えるかわからないがとにかく待つように、と言われる。
ずっと座り続ける三人の前をいろいろな人たちが通り過ぎる。
夕方前までそのまま待たされる。
やがて唐突に奥の社長室のドアが開き、徳丸社長が姿を現した。
恰幅の良い豪快で人のよさそうな男性だ。
徳丸理事長への直談判が始まった。徳丸はリラックスした様子で話を聞いている。
徳丸は海に、身の上話を聞いてきた。
船乗りだった父親のこと、その父親は朝鮮戦争の時に遭難したこと。
徳丸は、お母さんはさぞご苦労してあなたを育てたのでしょう。
りっぱなお嬢さんになりましたね、と声をかける。
そして徳丸はその場でスケジュールを調整し、三人に翌日に清涼荘(カルチェラタンの正式名称)に見学に行くことを約束する。
◆成果を手にし、帰る三人。
しかし水沼が「気を利かせ」神田の叔父のところに寄っていく、といって、俊と海をふたりきりで帰らせる。
帰りの電車で帰宅ラッシュに合い、つぶされそうになる俊と海。
海をかばう俊。
山下公園でふたり並んで歩く俊と海。お互いの進路を聞き会う。
風間は家が苦しいので国立大学しかない。海は医者になりたいとぼんやり考えていた。
海が家に帰る路面電車が来た。海は、自分が毎日海に向かって旗をあげていたから、父親が俊を贈ってくれたんだと思うことにした。
そして海は
「わたし、たとえ血がつながっていても兄妹でも風間さんがズーッと好き。」
と俊に対してストレートにまっすぐ恋心を告白する。
手を握り合って、さよならするふたり。
翌朝、かっぽう着を着て台所に立つ良子。
元気よく学校に向かう海と空。海も今日は普通の女子高生に戻ったようだ。
2人が登校したあと、良子がどこかに電話をかけていた。
喫茶店で待ちあわせする良子。相手は風間の父・風間昭雄だった。
◆翌日、多くの学生たちが出迎える中、徳丸理事長が約束通りカルチェラタンにやって来た。
立って出迎える水沼、風間、海たち。徳丸が海の肩を叩く。
校長たちが腰巾着のようにくっついてまわる中、徳丸理事長は居並ぶカルチェラタンに部室をかまえる部員たちにひとりひとり質問していく。
クセがあって個性的ではあるが、学生らしく素直な受け答えをする部員たちと、生まれ変わった清涼荘(カルチェラタン)の建物を、徳丸は大いに気に入ったようだ。
その時、俊は父からの電話を受けていた。沢村雄一郎、立花と、写真に写っていた最後のひとり、小野寺が今からすぐ外国航路に出航してしまうと告げる。
小野寺はタンカー「航洋丸」の船長で、俊と海の出生について確かな事を知っているらしい人物だ。会って話を聞きだすなら今の内というわけだ。
徳丸のために生徒たちが肩を組んで合唱を始めた。
直立して聞き入る徳丸。
「諸君、このカルチェラタンの値打ちが今こそわかった」
そして徳丸はカルチェラタンの取り壊しをせずに存続し、自分の責任において別の場所にクラブハウスを新規に建設することを高らかに約束する。
いっせいに歓声を上げる生徒たち。
帽子が飛びかい、床が抜けて落下する者も。
◆その中で俊がとつぜん海に「一緒に来てくれ!」と。
全員の大歓声の中、エスケープするふたり。
かけていく俊と海の前に、米屋の源さん(お手伝いの友子のダンナ)のオート三輪が通りがかる。
飛び乗ると、ムリヤリ3人乗ったオート三輪は、フルスピードで坂道を降りていくが、海沿いに降りるとすぐに国道の渋滞につかまってしまう。駆け出すふたり。
港の桟橋に着くと、俊の父のタグボートが待っていた。
その向こうには巨大なタンカーが。
錨を上げて、いまにも出港寸前の航洋丸だ。
タグボートに乗り込み、タンカーに接舷する。
海の手を取ってタラップを登っていく俊。
ブリッジでは木訥そうな男が、出港を15分のばすと指示していた。
◆沢村雄一郎たちと一緒に写真に写っていた小野寺善雄だ。
小野寺は俊と海に一枚の写真を差し出す。
商船大学らしく、多くの学生が甲板で写っている記念写真だ。
そして小野寺は俊に向かってはっきりと告げる。
「君の父親は立花洋だ。その写真に写っている。隣に沢村もいる」
「私たちは親友だった。君のご両親が亡くなった時私は海に出ていた。
そうでなかったら、私だって沢村と同じ事をしていたと思う。」
沢村雄一郎(海たちの実父)、立花洋(俊の実父)、そして目の前にいる小野寺善雄は同じ商船大学の学友で親友だった。
立花洋は終戦直後に引き揚げ船の中で事故で亡くなり、俊を身ごもっていた妻も、俊を出産した直後に亡くなった。
その赤ん坊を沢村雄一郎が引き取り、自分の戸籍に入れてしまったが、前述のように海の母の良子は身重・雄一郎は船乗りで、とても育てるのは無理だったので、赤ん坊を亡くしたばかりの風間昭雄夫婦に俊を託した。
それで風間俊の戸籍は沢村から風間に移り、実の父の名前がどこにもなかったのだ。
◆日本の戦争は終わったが、そのあと昭和25年から朝鮮戦争が始まった。
国連軍(主にアメリカ)はこの戦争で、当時占領していた日本を朝鮮戦争への海上輸送や、LSTと呼ばれた揚陸艦で海上の機雷を除去する作業に従事させた。
これに多くの元海軍の軍人が駆り出されたらしいが、武装解除していた日本に国会承認もなく事実上の参戦をさせたことで、この歴史事実は現在ほとんど忘れ去られている。
海たちの実父・沢村雄一郎はこの機雷除去の作業に従事し、その最中の船が爆発して遭難した(おそらく亡くなっていると思われる)。
つまり、風間俊の実父は戦後すぐに亡くなった立花洋。
海の実父は沢村雄一郎で、ふたりに血のつながりはなかった。
親友の子供同士ということだった。
◆小野寺善雄は目を潤ませ
「立花と沢村の息子と娘に会えるなんてうれしい。ありがとう。こんなうれしいことはない」
俊と海、小野寺は握手を交わし合った。
タグボードで港へ帰る俊たち。
信号旗がひるがえる。今は海も一緒に乗っている。
初めて、船の上から信号旗がはためくコクリコ荘を見上げる海。
そして、海はその後も変わらずに、コクリコ荘の庭から信号旗を上げ続けた。
今まで以上に朗らかな顔で。
◆映画『コクリコ坂から』にはあたりまえの日常をきちんと送りながら、未来に希望を持って生きている人たちが描かれています。
映画『コクリコ坂から』の背景は、携帯電話も、インターネットもない、多くの家にはテレビすらない時代です。
けっして、いいことばかりの時代じゃなかったはずですが『コクリコ坂から』では、BGMの「上を向いて歩こう」のように、みんなが上を向いて歩いています。
現代の日本では考えられないくらいに、まだモノがなかった時代ですが、未来に希望をもち情熱と一体感があった時代なのですね。