新版 古寺巡礼京都〈18〉妙法院・三十三間堂/菅原 信海
¥1,680
京都で『国宝 三十三間堂』に参拝してきました。
三十三間堂の免震法の歴史を読んでみると人間の進化の歴史の偉大さを感じます。
斎藤一人さんの書籍『強運』の教えにもありましたが
『もともとの努力もしないで強運になろうなんていうのは基礎もないのにビルを建てるようなものだよ』
という教えが胸に響きますね。
■豊かさを創る質問■
・あなたは基礎をつくらずに大きなビルを建てようとしていませんか?
・あなたは、歴史に触れていますか?
・あなたは、歴史の教訓から学んでいますか?
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<魔法のレシピ>
歴史を感じよう
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◆ 国宝 三十三間堂(こくほう さんじゅうさんげんどう)正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。
これは、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。
「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。
◆ 平安後期、約30年の間、院政を行った後白河上皇が、自身の職住兼備の「法住寺殿・ほうじゅうじどの」と呼ぶ院御所内に、当時、権勢を誇った平清盛の資財協力によって創建したものでした。
ところが、そのお堂は建長元年(1249)、市中からの火災により焼失し鎌倉期・文永3年(1266)に再建されたのが現存のものです。
朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様の極彩色で飾られたといい、今もわずかにその名残を停めています。
◆地上16メートル、奥行き22メートル、南北120メートルの長大なお堂は和様、入母屋造り本瓦葺きで、手前からはるか彼方へ一点透視的に漸減する眺めは、胸のすく壮快さです。
◆三十三間堂の建てられた平安期、都には見上げるような大建築がありましたがその多くは、地震や火災のために、短期間で姿を消してしまいました。
この反省から、工人たちは様々な工夫を凝らしたのです。
まず、基礎地盤には、砂と粘土を層状に堆積して地震時の地下震動を吸収する〈版築・はんちく〉を用い、堂内の屋台骨は、柱間を2本の梁でつなぐ〈二重虹梁・にじゅうこうりょう〉とし、外屋の上部も内・外柱に二重の梁をかけて堅固さを増加しました。
◆ 加えて、構架材の柱や長押、梁は“揺れ”を予測した組み方とし土壁面積を極力小さくした上で、溝を切った柱に板壁として横板を落し込む〈羽目板・はめいた〉とするなど、お堂は、波に揺れて浮ぶ筏のように“揺れ動く”建築としての免震工法が施こされたのです。
※国宝 三十三間堂はこちら
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=7&tourism_id=488
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<魔法のレシピ>
■ 歴史に触れよう
■ 歴史の教訓から学ぼう
■ 基礎の上に建築しよう
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<さくらのB級グルメ>★★★
京都駅で天婦羅『ハゲ天』にいきました。
海老や鱧など新鮮なネタを、揚げたてで、さくさく頂ける逸品天婦羅定食を満喫しました。
美味しい天婦羅を、素材のお味がはっきわかる『塩』でいただくのが大好きです。
昼下がりの老舗の天婦羅『ハゲ天』のランチ・・・。
丁寧に炊き上げたご飯や、香り高い赤だしの美味しいお味噌汁もついて、さらにお代わまでできて900円以下で、いただけるのは嬉しいですね。
これだけリーズナブルなのは、京都駅の昼下がりのランチだからかもしれませんね。
■『ハゲ天』は昭和3年「たから」の屋号で銀座に店を構え、数々の美食家に愛されて参りました。
初代のハゲ頭から、いつとはなしに「ハゲ天」と名乗るようになり早80年・・・今では天ぷら御懐石からお総菜まで天ぷらの全てを歩んでいるそうです。
天婦羅の『ハゲ天』では、7月は暑い時期ですのでスタミナをつけていただくため「はも・鰻・穴子」の三種を。
また夏野菜などは唐辛子や山葵、カレー粉などでぴり辛の味付けをされているそうです。
季節コースのお食事として提供している、サラダ風天丼はサッパリとした味わいでご好評いただいているそうです。
「サラダ風天丼?」
是非、食べてみたいですね。(^^♪
ありがとうございます