運命の波に乗る魔法の習慣

はづき光映さんの

書籍「運命の波に乗る魔法の習慣」のお話しをお聞きしました。

運命の波にのる魔法のクセ(習慣)/はづき虹映

¥1,470

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<魔法のレシピ>

「運命の波に乗る魔法の習慣」を身に着けよう

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◆はづき光映さんは

人間は殆ど「無意識の行動を繰り返している」といいます。

例えば、歩くときでも、右足の次は、左足などと意識はしていません。

そして、その無意識の行動をつかさどるものが「クセ(習慣)」です。

 

◆では、人間の「クセ(習慣)」はどこからくるのでしょうか?

「人は自分が言ったとおりの人生を歩む」といわれいています。

これは「言ったことがエネルギーとして現象化することです。」

「木に例える」と・・・

・「木の根っこ」にあたるのが、その人の「思い」なんですね。

・「木の幹」が「言葉」で

・「木の枝葉」にあたるのが「行動」です。

・そして『木の実や花』にあたるのが『現象化して現れる』ということです。

 

◆要は「思い」と「言葉」と「行動」

この3つが揃うと『現象化』してくるのです。

ここで大切なことは、木と同じで・・・

本当は『根っこ』がしっかりしていないと『言葉』や『行動』を変えてもうまくいかないのです。

 

◆つまり人間を変えるには、順番からすると『根っこ』である

その人の『思いのクセ(習慣)』を変えるほうが早いのです。

ところが『思いのクセ(習慣)』を変えるのは難しいのです。

その理由のひとつは

『根っこ』にあるその人の『思いのクセ(習慣)』は目に見えないからです。

 

◆さらに、人間の『思いのクセ(習慣)』は、

普通は無意識にネガティブに考えるように出来ているそうです。

なぜなら人間の『思いのクセ(習慣)』の一番の目的は生まれながらに「自分自身の身体や生命を維持すること」

ですから「無意識」に

・「危険はないか?」

・「将来は大丈夫か?」

・「自分は本当に大丈夫か?」などと

「ネガティブに考える」ことが普通だからです。

だから「ネガティブに考えること」を、頭から否定しないほうがいいそうです。

もちろんポジティブシンキングは、悪くないのですが・・・

 

◆また、はづき光映さんはいいます。

本当に幸せな人が

「めちゃめちゃポジティブシンキングになる必要があるのでしょうか?」

「めちゃめちゃなポジティブシンキング」は、逆に「今は、幸せではない」ということですよね。

◆それに「夢をいつも思い描くといいよ」ということを、よくいわれますが・・・

 

「夢」とは、「まだ未完了だ」ということですから。

それを繰り返せば、繰り返すほど「木の根っこ」には逆に「夢は、未現実」「夢は未実現」という種を『思いのクセ(習慣)』として撒くき続けることになるのです。

だから「夢が未実現」になる「行動」が現れ、さらには「未現実」という「現象」が現れるそうです。

 

◆これはシークレットで流行した「引き寄せの法則」も同じことで「○○を引き寄せたい」という『思いのクセ(習慣)』がある。

ということは・・・

その人の「木の根っこ」には逆に「まだ○○は未実現だ」、「まだ○○は未実現だ」という

『思いのクセ(習慣)』を繰り返し、「まだ○○は未実現だ」という種を心に撒いている、ようなものです。

だから逆に「現象」も「未実現になる」ということは「引き寄せの法則」でも同じことです。

 

◆「このお話し」は微妙な違いですけど、大きな違いなんですね。

だから「夢」や「引き寄せの法則」を、より効果的に活用するには「夢」や「引き寄せたいこと」を

『なってもいいけど、ならなくてもまあいいかあ』くらいがお勧めだといいます。

 

◆そういえば幸せに成功しつづけている人は、

「目標」ではなく『プロセス』の行動に拘ったり「結果目標」よりも『熟達目標』に拘る人が、殆どですよね。

深い氣づきを有難うございます。

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<魔法のレシピ>

■ 人は自分が言ったとおりの人生を歩む

■「結果はコントロールできない」だから「プロセスをコントロールしよう」

■ 「夢」や「引き寄せたいこと」は

『なってもいいけど、ならなくてもまあいいかあ』くらいがお勧めです

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<さくらのB級ぐるめ>★★★★

鹿児島で黒豚のロースかつをいただきました。

口に入れると甘くて芳醇な、黒豚のロースかつはお箸がどんどんすすみます。

■鹿児島黒豚の歴史■

薩摩の国では、戦国時代から豚肉を「歩く野菜」といって食べらていたそうです。

黒船来航で揺れる徳川幕府に外交問題の重鎮・水戸藩主斎昭公をして

「いかにも珍味、滋味あり。コクあり、なによりも精がつく」といわしめ、徳川慶喜は後に「豚一様」と呼ばれるほどに薩摩の黒豚を気に入ったという。

また、西郷隆盛も豚骨と呼ばれる郷土料理と、今風で言う肉入り野菜炒めの黒豚料理を愛していたと、鹿児島の郷土料理で書かれている。

現在の鹿児島の黒豚は、明治にバークシャーと呼ばれるイギリス原産の黒豚が導入されて、薩摩で昔から飼われていた土着の豚との改良を重ねたものである。

ただ、1863年の薩英同盟のときに、英国からバークシャーが贈られたという説もある。

■鹿児島に養豚を産業として根付かせた功労者は■

枕崎市鹿籠(かご)出身の獣医師、園田兵助である。

枕崎は土地が痩せ、台風の多い土地柄である。1895年の台風では街は壊滅状態になった。

園田は台風に強いサツマイモ栽培と、漁場街である事から手に入りやすい『魚のあら』を組み合わせた養豚を考えた。

また土着の在来豚ではなく、導入されたばかりのバークシャー種に注目し、養豚を住民に説得する一方で、品種改良や販売経路のための養豚組合の設立に尽力した。

戦後、家畜商をしていた同じ鹿籠出身の森繁雄は、1949年南薩鉄道の鹿籠駅から、県内としては初めて黒豚の東京出荷を行った。

東京に送られた黒豚は、美味さと品質の良さから瞬く間に評判を呼び、貨車に鹿籠駅の車票が付いていた事から、この豚は『鹿籠豚』と呼ばれた。日本初の豚肉のブランドである。

 

■鹿児島黒豚の定義■

肥育後期にさつまいもを10~20%添加した飼料を60日以上給与しており、鹿児島県黒豚生産者協議会の会員が、県内で生産・肥育出荷したバークシャー種(アメリカバークシャーを除く)であること。

 

桜島の豪快な景色を見ながらサクサクいただく黒豚料理は、豪快で元氣がでてきますね。

有難うございます。

 

     
  

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