快人エジソン―奇才は21世紀に甦る/浜田 和幸
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発明王といわれるようになったエジソンは数多く「含蓄のある言葉」を残しています。
■「発明するためには、豊な想像力とゴミの山が必要だ。」
■「私たちの最大の弱点は諦めることにある。」
■「成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。」
■「楽しみながら学ぶのがベストだよ。」
■「失敗すればするほど、我々は成功に近づいている。」
エジソンの、このような「言葉の真意」はどこからくるのでしょうか?
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<魔法のレシピ>
エジソンは諦めないことの天才だった
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◆1876年、エジソンは「電話機」の発明競争でグラハム・ベルに先を越さ、特許を取得されます。
その理由は、エジソンの発明した電話機は、途中で音が減衰してしまうためでした。
エジソンはその音を一度、中継地点で録音してその音を再生して相手に届ける仕組みを研究していました。
これが、翌年1877年12月6日のエジソンの「蓄音機」につながります。
◆蓄音機の発明は電話機の発明でベルとの競争にやぶれたエジソンが諦めなかったために生まれたものといえます。
・「発明するためには、豊な想像力とゴミの山が必要だ。」
・「失敗すればするほど、我々は成功に近づいている。」
・「成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。」
◆エジソンは、電話の研究をしていたこの時期、電話機の音を紙テープに機械的に書き込み、電話がなくても後に電話会社に依頼して電文を送信してもらえる仕組みを作ろうとしていました。
この過程でエジソンは
「音を記録するのに、何も電話に固執することはない。音を記録し、再生すること。それこそが重要だ」と氣づきます。
◆エジソンの蓄音機は「話す機械」として喧伝され大いに評判を呼びます。
ですが最初のこの蓄音機は、評判のわりに性能が低く実用化にはほど遠いものでした。
そんなとき、再びベルがエジソンの前に立ちはだかります。
◆ベルが蓄音機の実用化に名乗りをあげたのです。
ベルは錫箔にかわり、ろうを塗布したボール紙円筒を考案。
録音と再生で針を別にするなど音質の向上につとめました。
さらに、ゴム管のイヤホンをつけ、聞きやすくするなどの工夫を加え、1888年、実用化に成功しました。
◆ベルの蓄音機はエジソンの闘志をかき立てたといわれています。
ベルの蓄音機の実用化成功を知ったエジソンは、その日から不眠不休で開発に取り組み、5夜連続の徹夜作業の末第2号機のエジソン式蓄音機を完成させました。
このとき、彼は徹夜明けの姿を写真におさめています。
※顔全体は腫れぼったいものの、目をぎらつかせ、不機嫌そうに自作機の前で頬杖をつくエジソン。
◆電話の発明競争でも、不思議なお話しがあります。
1876年10月3日ボストン大学のグラハムベルが「電話機」の発明に成功して特許を取得しました。
この同じ日、ベルの電話の特許取得から、なんと2時間後に、シカゴのイライシャ・グレイが、ベルとほとんど全く同じ内容の電話の特許を出願します。
とろがベルに僅かに遅れをとったため却下されました。
◆ただし・・・グレイは後にファクシミリの原形となるものを発明して名誉挽回をしました。
そしてその翌年1877年、ベル電話会社が設立されます。
これが後のAT&T社として、電子工学分野などで数多くの有能な人材輩出してゆくこととなりました。
◆成功した発明家に共通することは・・・
たとえ、他の人に先を越されるときがあっても、世の中が必要としているものを常に探し、実用化するために、よりよく改良を加えて諦めないことなんですね。
そして、この情熱や忍耐力から現代のGEや、AT&Tが生まれたということは凄いことですね。
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<魔法のレシピ>
■「人間離れした天才だって? 人間離れなどしていない。私はあきらめないことの天才なのだ。」
■「失敗すればするほど、我々は成功に近づいている。」
■「成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。」
トーマス・アルバ・エジソン
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<さくらのB級ぐるめ>★★★
外で『から揚げ弁当』をいただきました。
『から揚げ』は子どもの人気おかずNO.1ということですが大人が食べても、食べ応えがあり美味しいですね。
公園に流れる水のせせらぎの音を聞きながら木陰でいただくお弁当もいいですね。
今、会社にお勤めの方がランチに平均して使うお金は400円ということをお聞きしました。
日本には美味しくて、安いものが多くて嬉しいですね。
有難うございます。