天照大神の信仰が『日本書紀』に最初に登場するのは崇神天皇の巻で、天皇の娘である豊鍬入姫が天照大神を大和の笠縫邑に祀ったという記事があります。
そして次の垂仁天皇の代になって、今度は垂仁天皇の娘である倭姫(やまとひめ)が天照大神を祀るのにふさわしい場所を探して各地を尋ね歩く話が出てきます。
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<魔法のレシピ>
あなたの中にも神様がいる
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◆倭姫は宇陀の篠幡、近江の国、美濃、とめぐった後で伊勢に入りますが、その時
「ここは辺鄙な土地だけど波が打ち寄せる美しい国である。私はここに留まりたい」
という神託があります。
そこで倭姫はそこに宮を建てて天照大神をお祭りしました。
◆この天照大神を祀る仕事は次の景行天皇の代になると、またまた景行天皇の娘である五百野皇女に引きつがれています。
この天皇家の娘が伊勢で天照大神を祀るという制度は「斎宮(さいぐう)」または
「斎王(いつきのみこ)」と呼ばれ、この時代に始まって後醍醐天皇の皇女祥子内親王
まで続きました。
その後は祭主が代って神宮を主宰しています。
◆斎王の条件は未婚の皇女または王女で、人選は占いによります。
任が解かれるのは天皇の譲位又は崩御の時、両親の喪や病気の時、などですが、過失により退官することもありました。
むろん在任している限り結婚はできません。
同様の制度に賀茂斎院というのもありました。
選任規準も同様で、嵯峨天皇の皇女有智子(うちこ)内親王が最初、後鳥羽天皇の皇女礼子内親王が最後です。
◆斎宮は天照大神に仕える訳ですが、祭主であると同時に天照大神の「よりしろ」でもあったと考えられます。
少なくとも最初の頃はかなり霊的な力のある皇女が選ばれていたのではないでしょうか。
いわば、物質の世界で天皇(昔は大王と言ったが)が人民を治めるとともに、精神の世界ではその近親者である斎宮が神の世界との交信をするという二重構造の中で天皇家は日本の中核になって来たのでしょう。
なお、天照大神を祀る神社(正確には天照大神の場合は全て遙拝所である)は神明社、皇太神宮などで全国で18,000社ほどあると言われています。
◆天照大神は現在、伊勢神宮に祭られ、八咫鏡も天皇家の三種の神器の一つとして、そこに祭ってあります。
八尺勾玉は皇居に祭られています。
『あなたが鏡をみるとき、鏡の中に写るのはあなたご自身の姿です。
つまり、あなたの中にも神様がいるのかもしれませんね。』
ちなみに天照大神は、古来より男性神説と女性神説とがありましたが近年は女性神説が有力です。
その根拠の一つは日本書紀の神代(上)の巻で素戔嗚尊(すさのおのみこと)が天照大神を「姉」と呼んでいるところによるようです。
■豊かさを創る質問■
「あなたはもう一人の自分の声が聞こえますか?」
「あなたは、心の声を毎日書き出していますか?」
「あなたは、毎日もう一人の自分をねぎらい感謝していますか?」
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<魔法のレシピ>
■ 心の声を聞く時間を創ろう
■ 心の声を書きだそう
■ 鏡に写ったもう一人の自分をねぎらい感謝しよう
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<さくらのB級グルメ>★★★
伊勢神宮おはらい町通りにあるお店の店頭で伊勢えびコロッケ揚げたてを食べました。
この伊勢えびコロッケはクリーム部分がとろけそうにクリーミーで美味しくて感激の味でしたo(*⌒ω⌒)b
考案したのは旅館の主人、北村泰男氏。
旅館では20年前から伊勢エビ料理をメインにしており、地元産の伊勢エビを使ったコロッケを、と試行錯誤を重ね、2004年10月に完成させたそうです。
伊勢神宮敷地内の「おはらい町」は、全国の街道の終着点として古くから親しまれており、800mの通り沿いに並ぶ「切り妻造り」と呼ばれる建物は当時のたたずまいを今に残し、「おかげ横丁」は伊勢人気の火付け役となっているo(*⌒ω⌒)b
伊勢は古来より「御食国」と呼ばれほど独自の食文化が発展しており、このはらい町を中心にいろんな伊勢グルメが堪能できます。