怒って、やり返さない勇氣をもとう! パートナーコンサルティング!!

こんにちは。久家邦彦です。今日も1日元氣で顏晴ろう!

◎あなたは、怒って、やり返していませんか?

◆天網恢々粗にしてもらさず!!
・「良いことをすれば、良いことが起こる!!」
・「悪いことをすれば、悪いことが起こる!!」

天網は目があらいようだが,悪人を漏らさず捕らえる。

天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある。

○今日、お話したいことは『怒って、やり返さない勇氣をもとう!』ということです。

ここで伝えたいことは一つだけです。

仕事や人間関係で、理不尽なことがあったときに

『怒って、やり返す』

のではなく

「やり返さない勇気を持つ」

ということです。

映画『世界を変えた男』を観ました。

■お勧めです!!

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怒って、やり返さない勇氣をもとう!

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ここからは映画『世界を変えた男』のあらすじになります。

ネタバレがありますが、内容をより深く理解したい方には、おすすめかもしれません。

■ 1947年アメリカ大リーグ!!

ブルックリン・ドジャース(ロサンゼルス・ドジャースの前身)のゼネラルマネージャー・ブランチ・リッキーは優秀な選手を欲していた。

そこで目をつけたのがニグロリーグに所属する黒人選手だった。

そしてその中の1人ジャッキー・ロビンソンに目をつける。

彼は前年.350の打率という高い打率を誇り、盗塁も上手だった。

ブランチ・リッキーは彼を呼び出し、契約金3,500ドル、月給600ドルの契約でドジャースの傘下のAAA級モントリオール・ロイヤルズへ入団させることに成功。

■しかし、ブランチ・リッキーは彼が待ち受ける苦難と試練にこう言う。

「やり返さない勇気を持って欲しい」と。

この時代、ホテルや食堂はたまたトイレまで白人と黒人は別々のところを使うようになっていた。

それくらい下に見られており、非常に厳しい差別を受けていたのだ。

そんな状態で白人だけがプレーするメジャーリーグへ行くということは、丸裸で戦場へ行くのと同じであるが、そこでやり返すのではなく、プレーと成績で示して欲しいと要望する。

契約を結んだ日、恋人のレイチェルに結婚を申し込む。

そしてその年に長男が誕生する。

■1946年シーズンはAAAのロイヤルズでプレー。

ショートだったのがセカンドにコンバート。

黒人がグラウンドに立つこと自体を拒否する白人により、家を襲撃されそうになるなど身の危険に合うこともしばしば。

しかし、プレーで結果を見せ、ロイヤルズをリーグ優勝に導く。

そして1947年、ついにメジャーデビューを果たす。

その背番号は「42」。

■開幕前、ドジャースの選手はジャッキー・ロビンソンと一緒にプレーをすることを拒絶し、ブランチ・リッキーに嘆願書を提出する計画を立てていた。

しかし、ブランチ・リッキーは事前にその情報を知り、監督であるレオ・ドローチャーに事態を収拾させるように命じる。

レオ監督は夜中に選手たちを集めて、激怒しながらこう言った。

「自分は選手の肌が黄色であろうと黒であろうと構わない。自分はこのチームの監督である。優秀な選手であれば使う」

「彼は最初の1人だ、彼の後ろにもたくさんの選手がいる。白人がメジャーリーグから追い出されたくなければ、プレーで証明しろ!」

■その後レイ監督は、女優とのスキャンダルで開幕前に辞任することとなる。

この裏には黒人がメジャーでプレーすることを嫌った団体により手引きもあった。

監督不在のままシーズンを望むことになりつつも、なんとか新任監督を見つけだす。

しかし、メジャーの舞台に立ったジャッキー・ロビンソンの前にあったのは、AAA時代とは比べ物にならないほどの誹謗中傷、そして差別だった。

敵球団や一般大衆、マスコミはもとより、チームメイトからすら非難を浴びる。

■フィラデルフィア・フィリーズはドジャースとの対戦を前にジャッキー・ロビンソンが出場するなら対戦を拒否すると通告したり妨害工作が多発した。

スタジアムでも観客や敵チームからのブーイングなど、理不尽な差別や仕打ちに耐え切れなくなった時、チームメイトが抗議したり、勇気づけてくれることで、なんとかシーズンを終えることができる。

そして、シーズン終了時にはチームメイト・監督、報道陣からも受け入れられるようになっていた。

ジャッキー・ロビンソンはその年、一塁手でプレーし、打率.297・12本塁打・48打点・29盗塁という成績を残してチームの優勝にも貢献し、新人王にも輝いた。

チームもその年、ワールドシリーズ制覇した。

ジャッキー・ロビンソンはその実力と成績で認めさせた。

■映画『世界を変えた男』が実話をもとにしていることに、深い感動を覚えます。

ジャッキー・ロビンソンやその家族、関係者の、その後の人生が最期にながれますが・・・。

それを観ると、考えさせられるものがあります。

・「良いことをすれば、良いことが起こる!!」
これを達磨(ダルマ)といいます。

・「悪いことをすれば、悪いことが起こる!!」
これを因果(インガ)といいます。

■「天網恢々粗にしてもらさず!!」

天網は目があらいようだが,悪人を漏らさず捕らえる。

天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある。

これは日本や仏教の世界だけでなく、どうやら世界共通なのかもしれませんね。

理不尽なことがあったときに『怒って、やり返す』のではなく「やり返さない勇気を持とう!」ということです。

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■原則を生きよう!

・「良いことをすれば、良いことが起こる!!」

・「悪いことをすれば、悪いことが起こる!!」

■天網恢々粗にしてもらさず!!
天網は目があらいようだが,悪人を漏らさず捕らえる。

天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある。

■『怒って、やり返す』のではなく「やり返さない勇気を持とう!」

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ところが・・・。その6カ月後には、ソニー生命で手取月収1000万円をたたき出します。

そしてその後も成績を伸ばし続け、最高月収額は1850万円と最低額1655円の1万倍へなりました。

そして保険営業のトップしかは入れないMDRT(約:年収2500万円以上)の2002年MDRT日本会大会委員長、2004年国際委員長を歴任されました。

その後、大坪さんは、保険業界のトップセールスむけの継続課金型ビジネスで!

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【大坪勇二さんのプロフィール】です。

1964年九州生まれ。 大学卒業後、大手製造会社にて事務職員として9年間勤務した後、ソニー生命の営業職へ転身。

入社3年後に手取月収が1655円となるが、一転、その6カ月後には手取月収1000万円をたたき出す。

その後も成績を伸ばし続け、最高月収額は1850万円と最低額の1万倍へ。

2002年MDRT日本会大会委員長、2004年国際委員長を歴任。 

2008年、自らが講師を務め、営業パーソン向けに研修を行うキーストーンフィナンシャル株式会社を設立。

2010年1月現在、受講生から年収5000万円超の営業パーソンを多く輩出している。

著書に、ダイヤモンド社刊『手取り1655円が1850万円になった営業マンが明かす月収1万倍仕事術』がある。

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 日本現実化戦略研究所(まる現)
  久家 邦彦(くげ くにひこ)

     
  

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