イメージを底上げするブームを仕掛ける!Dr.苫米地の書籍『テレビは見てはいけない』

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このブログ『豊田さくらのウエルシーシェフ』では、メンターや書籍、
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Dr.苫米地の書籍『テレビは見てはいけない』
脱・奴隷の生き方を読みました。

一部を引用してご紹介させていただきます。記事を読んでよければ是非、書籍を読んでみてください。

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■豊かさを創る質問■

・あなたは、職業のイメージを底上げするブームを仕掛けていますか?

・あなたには、イメージを底上げする『言葉』がありますか?

・あなたは、イメージを底上げする戦略がありますか?
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<卓越のレシピ>

イメージを底上げする『カリスマ』ブームを仕掛ける!

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◆一昔前から、美容師や料理人など職人系の仕事で一流の人を『カリスマ』という言葉を冠して呼ぶようになりました。

実はこの仕掛け人も私です。

当時、表参道駅周辺に店を出し始めていた美容師たちが、私たちの仕事は華やかな世界のように思われていますが、ずっと立ちっぱなしで体力的にもきつく、給料も安い「3K」業界です。

だから若い人が集まらず、せっかく入っても続かなくて困っています。と悩んでいました。

◆そこで私がコンサルティングすることになり、美容の世界のイメージを底上げするための言葉が必要だと思って、『カリスマ』という言葉を使うことにしたのです。

「君たちを『カリスマ』と呼ばれる存在にしよう。そうすれば、憧れてやってくる若者も増えるだろうし、将来に向かってがんばって仕事続けるモチベーションにもなると戦略を立て、彼らを『カリスマ美容師』と世間に認知させるための一大プロモーションを仕掛けました。

◆私の自宅が青山だったこともあり、最初の仕掛けを青山にあるank(現在da –is)で行うことにしました。

その店の店長は当時、中山美穂さんがショートカットにしたり、今井美樹さんがウエービーヘアーにしたり、女性タレントがヘアスタイルを変えるとなると、よく指名されるでの腕の良い美容師だったのです。

まずは彼らをどんどんメディアに売り込み、露出を増やしていきました。

◆並行して、新しい店舗を出店するときには、青山、表参道界隈に集中させることもアドバイスしました。

秋葉原の電気街には、何百軒もの電気店があるからこそ多くの人が集まってきます。

当時から表参道、青山周辺には美容院が多くありましたが、今のように集中してはいなかったのです。

お互いをライバル視せずに、美容院どうしが隣あってもいいから、青山を「美容の街」にすることを勧めたのです。

◆そして30以上もの雑誌に次世代のカリスマ美容師たちを登場させ、また、全国で彼らが髪を実際に切ってみせるイベントを開催。

テレビでその模様を放映するなどして『カリスマ美容師ブーム』を巻き起こしたのです。

その目論見は見事に当たりました。

美容師なりたい若者が美容専門学校に殺到するようになり、美容師という職業のイメージが大きく変わることになったのです。

◆様々な『ブーム』がありましたが、その陰には仕掛人がいるのですね。

・漫才ブーム(ウィキペデイアより)
演芸界において、1980年~1982年のごく短い期間に漫才がさまざまなメディアを席巻し、またメディアに消費された一大ムーブメントである。

それまでも個々に漫才コンビが売れることはあったが、漫才界全体にブームが巻き起こったのはこれが初めてだった。このブームをきっかけに、後に『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』などのバラエティ番組で活躍する芸人たちが台頭する。

東京を基盤とする太田プロダクション、大阪を基盤とする吉本興業の所属タレントに多く漫才ブームで活躍したコンビが所属したため、これ以降テレビ業界での両事務所の影響力が拡大した。

漫才ブーム以前1970年代後半の吉本興業は、社員数120人、年商40億円程度であったが、1995年には社員数180人、年商は190億円に拡大した。

社員の数は五割増えただけなのに、売上げは五倍になったのである。

その決定的なターニングポイントが漫才ブームであった。吉本興業は現在でも多大な影響を与えている。

 

◆異常ともいえた「漫才ブーム」は、1、2年程度で衰えたが「お笑いブーム」そのものは、衰えるどころか、ますます勢いを増した。

その中心になったのは上記の漫才ブームにのって出てきた顔ぶれである。

「ブームが生んだタレント人気は、そのブームの衰退とともに消える」のが、それまでの常識であったが、彼らは漫才ブーム去ればさらりと漫才を捨て、簡単にコント芸人に転身した。

見る側も、初手から彼らを漫才師と思っておらず、お笑いタレントとして見ていたから、その転身に別段の抵抗感もなかった。

 漫才コンビを単体で集めた『オレたちひょうきん族』が、お化け番組『8時だョ!全員集合』と裏番組で視聴率争いを始めた1982年には、当時のマスメディアも大きく取り上げた。また山城新伍の『アイ・アイゲーム』(フジ)なども人気を集め、この頃から権威に対するパロディが茶の間という公式の場で大手を振るという、テレビ界に娯楽番組の新しい流れが生まれた。

 

◆吉本興業の若手芸人養成所「NSC」は、漫才ブームが下火になった1982年であるが、開講の引き金になったのは漫才ブームである。NSCの初代校長・冨井善則は「漫才ブームが起こって開講を考えた。

ブームで出た漫才師はセンスも違っていた。

紳竜なんて、われわれの考えていた漫才を超えていた。そこで若いお客さんが欲している感覚の芸人を育てないとアカンと思った」と話している。

 1期生は90人の赤字ビジネスとしてスタートしたNSCは、2011年現在、東西で1400人が入学するほどの黒字ビジネスとなっている。

 ブームが去って以降、ビートたけしや島田紳助、とんねるずらが頭角を現し、漫才師ではないが同時期に現れた芸人であるタモリ、明石家さんま、片岡鶴太郎、山田邦子らが1980年代のお笑いの中心として活躍することとなる。

またそれ以降に現れたお笑い芸人、近年活躍するお笑い芸人も、彼らに憧れて、お笑いの世界に入ってきたものが大半であるため、漫才ブームが後世に残した影響は計り知れない。
(ウィキペデイア 漫才ブーム)

◆http://ja.wikipedia.org/wiki/漫才ブーム

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<魔法のレシピ>

■ 美容の世界のイメージを底上げするための言葉が必要だと思って、『カリスマ』という言葉を使うことにした

■お互いをライバル視せずに、美容院どうしが隣あってもいいから、青山を「美容の街」にすることを勧めた

■30以上もの雑誌に次世代のカリスマ美容師たちを登場させ、また、全国で彼らが髪を実際に切ってみせるイベントを開催テレビでその模様を放映するなどして『カリスマ美容師ブーム』を巻き起こした

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